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興味深く拝見しました

1:風太 :

2020/06/29 (Mon) 21:09:45

大変なご苦労をなされて集められたと思いますが、貴重な資料を公開していただき、ありがとうございます。
私は昭和28年生まれで高校時代は山岳部にいましたので、長距離列車に乗って山陰の大山、四国の石鎚山、北アルプスなどを登山していました。門司から京都方面に行く山陰線の普通列車はまだ蒸気機関車が牽引していました。髪の毛が煤だらけに(笑)。2年生の夏休み、大阪万博の年に北アルプスを縦走するために小倉から名古屋に行く急行を利用しましたが、万博に行く客で凄い混雑の中、大阪まですっと立っていた思い出があります。
東京に進学してからは、帰省の折に高千穂・桜島で東京から小倉を往復していました。新幹線が岡山まで開通していましたが、貧乏学生だったので節約してました。お酒の一生瓶持ち込んで、ちびちび飲みながらです。たまに急行新台も利用しましたが。
あの時代、主要駅では深夜でも多くの長距離列車が行き交い、うどん屋も24時間営業していて、わずかの停車時間に乗客が群がっていましたね。駅が生き生きしていた時代で、今も懐かしく思い出します。
そういう思い出を振り返りながらゆっくり拝見させていだだきます。 ありがとうございます。
2:管理人 :

2020/06/30 (Tue) 20:08:50

貴重なコメント有難うございます。
門司→京都の夜行など時刻表上でしか知らない若輩者ですので実際に御乗車になられた方のコメントを頂戴出来るのは、何とも光栄です。
夜行を宿代わりに各地を回りましたが、さすがに冷房無しの夜行はあっても、煤だらけになるという過酷な状況を強いられた事はありません。
煤を洗うという任務もあったであろう駅ホームの洗面場も私が旅をしていた時期には既に絶滅寸前に追い込まれておりました。
まぁしかし、何でもかんでも小ぎれいになる前に鉄道で旅行が出来たのは、良い経験だったと思わずにはいられません。
最近は駅も綺麗にはなりましたが、どうにも旅へ出る魅力は感じなくなってしまい、鉄道旅行とは疎遠な今日この頃です。
3:GV73A :

2020/06/30 (Tue) 20:49:03

風太様
投稿していて、自己満足かな?と考えたりする時もあり、非常に有難いお言葉深謝致します。

私の祖父が戦前から若松市のバス運転手だったこともあり(戦後は北九州市交通局)交通関係の資料がある訳です。
父は苅田、母は若松出身(共に健在)
貴殿と同じように、父からは仕事で名古屋~小倉 急行阿蘇を利用した話や、母からは駅で煤のついた顔を洗った話、昔のトイレの話(停車中禁止)など…風情がありますね。
当然、私は新幹線以降の世代です。
(偶々サイトを覗いていたら、戦中の情報収集に投稿)
日帰り往復の現在、経験した方にしか判らない貴重な体験は何とも有難いです。

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